福岡地方裁判所直方支部 昭和40年(わ)82号 判決 1966年7月22日
被告人 石田太治
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、
被告人は、
第一自動車運転業務に従事していたが、昭和三十九年九月二十七日午前九時十五分頃、茨城県新治郡新治村大字東城寺登土、三菱工業株式会社東城寺採石作業所において、大型貨物自動車(ダンプカー)を運転後退しようとしたが、当時左側バツクミラーは故障であつたので、かかる場合被告人としては後退直前自ら一旦下車して後方附近の安全を確認するか、又は附近作業員に見張りを依頼する等して後退し、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らずこれを怠り、漫然後退した過失により、折から被告人の自動車の後方を左から右に歩行中転倒した稲尾隆利(当三十六年)に気付かずして同人を左後車輪でひき、よつて頭蓋底骨折腰椎骨折により同所において死に至らしめた
第二公安委員会の運転免許を受けないで、右日時頃、右採石作業所内の採石場からポケツトまで約六〇〇米の間、大型貨物自動車を運転した
ものである。
というのである。
公訴事実第一についての判断
被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、中村清美の司法警察員に対する供述調書、頼永富久幸の司法警察員に対する供述調書謄本、実況見分調書、医師三橋政信作成の死亡診断書、裁判官の検証調書及び証人頼永富久幸、同山本照男、同鬼気貞彦各尋問調書を綜合すれば、つぎの事実が認められる。
(1) 被告人は昭和三十九年九月二十七日午前九時十五分頃、茨城県新治郡新治村大字東城寺登土、三菱工業株式会社東城寺採石所内の採石現場において、一九六三年式T五二型ふそうダンプトラツク六屯車(車体番号二八〇二六一号、ナンバーなし、長さ五、三四米、幅二、五〇米、高さ二、九〇米)の右側前方の運転台に乗り、同車を操作して前進後退させ、これと関連して前進後退し採石をすくい上げてこれを右ダンプトラツク上に卸す須藤広信操作のシヨベルローダー(ブルトーザー)とともに採石積込作業(ダンプトラツクを前進させると、その後方直角の方向にシヨベルローダーが前進して地上の採石をすくい上げて後退する。そのあとシヨベルローダーの前方にダンプトラツクが後退して、その荷台にシヨベルローダーの採石を受ける。この相互の前進後退を数回反覆して積込みを終る。)に従事していた。
(2) 当時右ダンプトラツクの左側バツクミラーは故障であつた。
(3) 被告人は右のように後退するに当り、その直前に一旦下車して後方附近の安全を確認することも、附近にいる作業員に見張りを依頼することもなさなかつた。
(4) 右前進後退は積荷するごとに約十米前進し、約十米後退するのであるが、四回目に約四、五米後退したとき、被告人は右ダンプトラツクの後方を歩行中たまたま石につまずいて転倒した稲尾隆利(当三十六年)に気付かず、同人を左後車輪で轢き、そのため同人は頭蓋底骨折腰椎骨折により同所において死亡した。
(5) 右採石現場は、山の北側斜面を平地から約百五十米上つたところにあり、北方谷側は断崖、南方山側は切羽となつていて、切羽部分には山を崩した岩石が累積しており、その断崖と切羽との間は前記事故発生地点において南北に約二十米(平均して約十米)、東側の山と西側の山との間は約七十米、面積約七百平方米の採石作業用広場であつたが、そのうち山側の切羽附近と断崖附近には大小の岩石が無数に散乱堆積していて平地ではなく、比較的平地となつている部分は約三分の二の四、五百平方米であるが、その平地部分も、本件事故当時は発破をかけた直後であつたので、径三十糎位のものから以下大小無数の石が散乱していて地面は平坦ではなかつた。したがつて、右採石現場には道という道はなく、山麓の事務所から約六百米のS字型の通路を高さ約百五十米昇りつめた末端の広場をなし、その広場の西端が右通路につながつている状況であつた。本件事故発生当日、同広場の山側の岩石の累積している部分では、前記事故発生地点から十米六〇糎距つた地点で、さく岩夫中村清美、同賀門勇が、同じく三十八米距つた地点で、さく岩夫稲尾隆利、成於某が、これよりさらに十米位距つた地点で、さく岩夫鬼気貞彦が、それぞれ三台のさく岩機によつてさく岩作業に従事し、ブルトーザー(シヨベルローダー)二台の操作に須藤広信外一名が従事し、ダンプカー一台の操作に被告人が従事してそれぞれの作業をなしていた。当時、これら作業員のほか右採石現場を通行する人車等は全然なかつた。また、これら作業員は、現場監督頼永富久幸から、ダンプカーとブルトーザーが交互に前進後退して石の積み込み作業をしている附近は危険であるからこれに近づかないよう、やむをえずその附近を通る場合は、どちらかの運転手にその旨を告げ車を停車させてから通行するよう指示されていた。一般の右現場の保安については責任者があつて、責任者が危険だといえば作業員はそこには絶対に立入らない例であつた。右採石現場におけるさく岩機等の騒音は非常に激しく、二米を隔てれば人語人声を殆んど聴取することが困難であり、右事故当時、被害者から約十米位離れたところにいたさく岩夫中村清美は、被害者がダンプカーの後方約二米のところにいるときダンプカーが後退しはじめたので、大声を出して「あぶないぞ」と何回も叫んだが、機械の音に消されて、被害者にも被告人にも聞こえなかつた。前記のように作業員はダンプカーが前進後退する附近は危険であるから近づかないよう常に指示されており、それまでダンプカーが動いている所を作業員が通るということはかつてなかつた。また、さく岩作業をなす者はダンプカーの通る所にいないので、ダンプカーの後退について誘導をなす事実上の必要がなく、それまで誘導をなしたこともないし、誘導をなす人員の配置もなされていなかつた。
(6) 右バツクミラーが故障でなくても、被告人の運転席から右稲尾隆利の転倒した体を見ることはできなかつたた。右転倒部分は被告人の運転席からすると死角の中にある。
以上の事実が認められるのであつて、この事実からすると、右採石現場は道路ではなく、被告人がなしていたダンプトラツクの前進後退の操作は道路交通法にいう運転ではないといわねばならない。したがつて検察官のいう「被告人は自動車運転の業務に従事した」の意義を上述の意味に理解するならば、この点については本件において取調べた全証拠をもつてしても、これを認めるに足らない。しかしながら検察官のいう運転の語を、叙上の意味においてではなく、より通俗の用法に従い、右ダンプトラツクをその装置の用い方に従つて用いた、という意味において理解するならば、被告人は検察官主張の日時場所において、自動車運転の業務に従事していたものというのを妨げないし、したがつてまた、前記日時場所において自動車操作の業務に従事していた被告人は、その業務上、他人に危害を与えないように自動車の操作をなすべき一定の注意義務があつたとするのも、異論のないところである。ただ被告人が従事した業務が上述のとおりである限り、その業務上の注意義務は、一般の自動車運転業務、換言すれば、不特定多数人が通行の用に供する道路において自動車運転の業務に従事する者が、その業務上負担する注意義務とは異別に考えられなければならないことは勿論である。
ところで、検察官は、本件において、被告人は後退直前自ら一旦下車して後方附近の安全を確認するか、又は附近作業員に見張りを依頼する等して後退すべき業務上の注意義務があつた、と主張するのでこの点について検討する。一般に、不特定多数人が現に通行し、あるいは通行することがありうる道路において、自動車を運転後退する者は、運転席から後方の安全を確認できなければ、一旦下車して後方の安全を確認するか、附近の者に見張りを依頼して後退する等すべき業務上の注意義務があることは条理上肯けるところである。しかしながら、前に認定したように、不特定多数人が絶対に通行せず、作業員といえども近寄ることが殆んど予測されえない前記採石積込作業現場において、右に認定したような自動車操作の業務に従事していた被告人に、しかも右に認定したような状況のもとにおいて、一旦下車後方安全確認あるいは附近作業員に対する見張り依頼の注意義務を求めるということは、たんに被告人に不可能を強いるものであるというばかりでなく、かかる作業に従事する一般通常人を被告人の立場においたとしても、これに右のような注意義務を要求する必要はさらにない。上に認定したように、本件採石現場には、さく岩機、ブルトーザー、ダンプトラツク等の機械が、それぞれの作業任務に応じて、それぞれの行動範囲をもつて、動いていたのであつて、その正常な作業行動によつて他に危害を及ぼすおそれはなく、これを顧慮警戒する必要もないこと通常の工場における作業員と異るところはない。また、各作業員はそれぞれの持場を担当していて、他を顧みる余裕も能力もなく、被告人が他の作業員に見張りを依頼することは到底できないし、上に認定したような騒音のもとでは、仮りに見張りを依頼したとしても、その見張り人との連絡もつかず、見張りが無意味に帰することが明らかである。また被告人の作業は前に認定したようなシヨベルローダーとの連係作業で数回の前進後退をくりかえすものであるから、その後退のたびに一旦下車、後方安全確認、しかる後乗車、後退ということをしていたのでは事実上作業にならないであろうし、かりにそうしたとしても、後方安全確認以後乗車、後退までの時間中には後方の安全を確認するに由ないわけであるから、これまた、必ずしも事故を防止するに必要不可欠の処置とはいい難い。もし、被告人に、後方安全確認義務を課しないでは人命人体の安全を保障できないというのであれば、むしろ被告人の作業じたいを禁止するか、作業場の保安責任者をしてその責をとらしめるべきであつて、これを措いて、被告人の作業を許容しながら上述の義務を課するのは矛盾であり背理である。のみならず、前記のように前進後退の型にはまつた動作をなしている右ダンプトラツクの後方約四、五米の地点に人がおり、しかもそれが転倒している、ということは極めて稀有の事例であり、被告人がこれを認識せず、またこれを予測しなかつたとしても、それこそ神ならぬ身のやむをえないことであつて、被告人を責めることはできないといわねばならぬ。いずれにせよ、上に認定したような作業現場において上に認定したような作業に従事している被告人に、後方安全確認の義務があるとするのは、条理の許さないところであり、もとより、法令、慣習、契約等においてかかる義務を課しているものは存在しない。
そうすると、被告人が、右に認定したように、ダンプトラツクを後退させるに当り、その直前に一旦下車して後方附近の安全を確認せず、附近にいる作業員に見張りを依頼することもなく後退させたのは、被告人の業務上の注意義務違反ではないというべく、かかる注意義務違反を前提とする本件業務上過失致死の公訴事実は結局罪とならないといわねばならぬ。
公訴事実第二についての判断
被告人が、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和三十九年九月二十七日頃、茨城県新治郡新治村大字東城寺登土、三菱工業株式会社東城寺採石作業所内の採石場からポケツトまで約六百米の間を大型貨物自動車をその用法に従つて用い、これを操縦して走行したことは、被告人の検察官に対する供述調書及び頼永富久幸の司法警察員に対する供述調書謄本によつてこれを認めることができる。
しかしながら、道路交通法第一一八条第一項第一号の罪の構成要件である「自動車の運転」というのは、同法の目的及び同法第二条の定義に従えば、道路(道路法第二条第一項に規定する道路、道路運送法第二条第八項に規定する自動車及び一般交通の用に供するその他の場所)において、自動車をその本来の用い方に従つて用いること、をいうものと解されるから、右の道路以外の場所において自動車を操縦運行することは右自動車の運転にあたらず、道路交通法の前記条項の罪を構成しないといわねばならない。
そこで前記三菱工業株式会社東城寺採石作業所内の採石場からポケツトまで約六百米の間が、道路交通法にいう道路にあたるか否について検討すると、まず、これが道路法第二条第一項に規定する道路又は道路運送法第二条第八項に規定する自動車道に該らないことは、裁判官の検証調書によつて明らかである。ところで、道路交通法第二条にいう「一般交通の用に供するその他の場所」とは、必ずしも道路としての形態を備えていることを要せず、また無条件に一般公衆に解放されていることも要しないが、現に不特定多数の人車の交通の用に供されている場所を指称するものと解されるところ、前記検証調書、実況見分調書及び頼永富久幸の司法警察員に対する供述調書謄本によれば、前記採石場からポケツトまでの間は、前記採石作業所の専用道路であつて、作業所員のほかは通行する人車はなく、東城寺の山の中腹にある採石現場から曲りくねつた急坂を約六百米、高さ約百五十米降つてポケツトに至る非常に危険な道であつて、主としてダンプカーにより採石をポケツトに運搬するために使用されているものであることを認めることができ、これと公訴事実第一について認定した右採石現場の状況を総合すると、右採石場からポケツトまでの間は、現に不特定多数の人車がこれを交通の用に供している事実はないことが認められるので、このような場所は前記「一般交通の用に供するその他の場所」には該当しないものといわなければならない。したがつて、本件公訴事実第二は結局罪とならない。
よつて、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をなすべきものとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 小島強)